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建築の詩人 アントニ・ガウディ

ガウディの人生

▲アントニ・ガウディ
1852年6月25日アントニ・ガウディ・イ・コルネットはカタルーニャ地方のレウスで銅器具職人の第5子として生まれた。父親が銅器具職人であったことはガウディの運命に大きな影響を与えたことは言うまでもない。晩年、彼は「父の仕事場で銅版が加工されていく様子を見て建築家になることを決意した」と語っている。
バルセロナに移り住んだガウディだが、病弱だった兄弟を次々に失い母親も難病で亡くなっている。当のガウディも健康には恵まれず、幼少の頃からリューマチに悩まされ、他の子供のように外で遊ぶことはなかったと言う。その代わりに毎日遠くまで散歩に出かけ、その習慣は一生続けられた。病弱であったガウディはそれを補う観察力が養われ、将来の創作活動において自然界の造形物が細部にわたって表現されるようになる。
ガウディは「マタロの町」で恋をするが、その初恋は実らず一生独身で通し続け、建築家として仕事に一生を捧げることになる。アルバイトをしながら苦学してバルセロナの建築学校を卒業した後、「建築家ガウディ」としての経歴が始まっていく。
プロの建築家として次々と作品を手がけていく彼だったが、1878年のパリ万博に出品した「皮手袋のショーケース」を見たエウセビオ・グエル・イ・バシガルビが一目でこの作品を気に入り、自宅に招いた。こうして二人の友情は生涯続くこととなる。ガウディの才能を感じていたグエル氏はグエル邸やグエル公園などをガウディに依頼し、スポンサーとなったわけだ。1883年にはガウディはサグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命される。以後、彼は他のいっさいの仕事を断ってこの建築の設計に壮年から晩年に掛けての40年以上を費やした。
そして、1926年6月7日夕刻、ガウディはバルセロナ市内で路面電車にはねられ、10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去、遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬される。

ガウディワールドなグエル公園

▲駐車場からの入り口

▲看板には世界遺産のマーク(左上)
こうの公園はグエル氏が持ちかけたもので小都市計画の一部であった。当初はこの小都市の中に公園をはじめ市場、教会、さらには広大な分譲地に60棟の住宅が建築されるはずであった。しかし、分譲地の売れ行きが悪く資金が足りなくなったため都市構想は中断されてしまった。売れ行きが悪かった理由としてバルセロナ市内から少し遠かったという理由があげられるが・・・・結果バルセロナ郊外に彼らのもっとも興味深い作品を遺してくれたと言える。

▲ガウディの家博物館には「ダリ展」の看板が

▲ガウディの家博物館
公園内に建てられた住居はわずか2軒であるが、1軒はジュリー・バトリエベールが弁護士マルティ・トリアス・イ・ドメネクの依頼を受け1906年に完成させたもので、もう1軒は同じ年に助手のベレンゲールが手がけている。こちらの住宅は「ガウディの家博物館」となっている。私達が訪れたときはちょうど「ダリ展」が開かれていて大きなダリの看板と「蟻」が博物館の壁にはっていた。ガウディはこの博物館には1906年〜1925年にサクラダ・ファミリアに移り住むまで実際に住んでいた建物である。

▲有名な波状のベンチ

▲ベンチの下の柱
独創性のあるユニークなこのベンチは遠くから見るとより一層その前景がわかる。波状のベンチの下はいくつもの柱で支えられていてここの地形を旨く利用しているのがわかる。
▲ユニークなベンチにも環境にやさしい工夫がしてる
このベンチはカラフルなタイルと様々な金属が使われているが、ただの「ユニークなデザイン」とは表現しがたい。ベンチに座るとちょうど腰の部分が突き出ていて座ると美しい姿勢になると言う。また、良く見るとベンチはやや傾きがありのあちこちにある穴から雨が降ってもそこから排水ができすぐに乾くように作られている。

▲公園正面の階段

▲人気のあるドラゴン

駐車場から入ると一番最後になるが上の写真が正面入り口になる。どこを見てもガウディワールドなデザインである。真ん中付近には「ドラゴン」の口から水が流れている。なんでも美智子様が公園を訪れたとき、「水が冷たいわ〜」とおっしゃたとか。

▲美智子様気分で記念写真

ガウディが生涯をかけたサクラダ・ファミリア教会

▲サクラダ・ファミリア教会
現在も建築中のあまりにも有名なサクラダ・ファミリア教会。ガウディが生涯をかけ取り組んだという。彼は40年にわたり教会建築に携わり1914年不慮の事故で亡くなる1926年までの間、一切の仕事を断り専念したそうだ。住居も変え、ついにはこの教会で寝泊りをし作業を進行したと言う。ガウディが建築の指揮をとるようになったのは、前責任者のフランシスコ・ビリヤールが計画を放棄した1892年から。彼が一番最初に手がけた、聖ヴェルナヴァと呼ばれる鐘楼は、彼が設計から完成まで携わった唯一の建築である。

▲外尾悦郎氏が作った「天使の合唱」
TVの某CMで有名になった(?)外尾悦郎氏は1978年からバルセロナのサグラダファミリア教会建築に彫刻家として参加。生誕の門最後の彫刻群「天使の合唱隊」を完成させている。教会の完成予定は1925年だとか・・・2002年にはガウディ生誕150周年を迎え、日本でも話題になった教会。


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文・写真:吉田 新子   ご感想などおよせください。 ShinkoY@aol.com

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